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大阪高等裁判所 昭和44年(う)1602号 判決

被告人 G・T(昭二三・一一・二二生)

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人岡沢完治、同末永善久連名作成の控訴趣意書ならびに控訴趣意補充書各記載のとおりであるから、これらを引用する。

一  論旨第一点の要旨は、原判決が本件について公訴を棄却しなかつたのは刑事訴訟法三三八条四号の解釈適用を誤つたものである、即ち本件は被告人が一九歳を一〇日間余り超えた少年の時に惹起した自動車事故であるから、もし捜査当局において通常かつ平均的の適切な捜査手続を遂げていたならば、少年法の建前に則り、優に家庭裁判所の先議に付し得た事案であり、その結果恐らくは家庭裁判所の保護処分により終結されるはずであつたと思料される。本件事故発生から公訴の提起に至るまで一年二個月余を要しており、その遅延の原因は、事故発生から昭和四三年一二月七日被害者調書の作成等に取りかかるまで警察が一年間余捜査を放置していたことにあり、警察は家庭裁判所先議主義を潜脱する意図を以て故意に捜査を遅延させたと推認するのを相当とし、少なくともその結果を認容する未必的な意図があつたと認められる。このように警察の捜査手続には違法乃至きわめて重大な職務違反があり、送検によつてこれを承継した検察官は自ら公訴提起を抑止すべき義務を負うものであるから、あえてこれを起訴したのは、公訴提起の手続自体も違法であると言わざるを得ない。然るに原判決は本件が家庭裁判所において保護処分を以て終結せらるべき可能性の有無について審理不尽の違法を犯し、かつ少年法一条、三条、二〇条、四〇条、四二条、刑事訴訟法一条、二四六条等の法意を無視し、以て公訴を棄却しなかつたのは同法三三八条四号の解釈適用を誤つたものである、というのである。

よつて記録を精査して考察すると、本件事故は昭和四二年一二月四日発生したものであるが、翌五日事故現場所管の大阪府城東警察署司法警察員瀬戸田一史による現場の実況見分が施行され、被害者○下○市は事故直後から城東中央病院に入院し、同四三年四月一五日大阪厚生年金病院に転入院し、同四四年二月三日これを退院しその後予後の療養に努めていたものであるが、その間被害者の供述調書は城東警察署司法巡査井上政夫により同四三年一二月七日に至つて漸く作成されると共に、事故当日同署が入手した○○中央病院医師作成の診断書の外に大阪厚生年金病院医師作成の診断書を右一二月七日に城東署が入手したこと、また被告人の供述調書は同署司法巡査田中幸夫により同年一二月二〇日及び二一日に至って漸く作成され、同四四年二月二一日検察官増田利秋による被告人の供述調書が作成された後、同年二月二七日に至つて本件公訴が提起されたものであることは、所論のとおりである。(なお本件が城東警察署から大阪地方検察庁に送致されたのは昭和四四年一月二八日である。)

ところで被告人は昭和四三年一一月二二日成年に達したのであるから、その時までに検察官が本件を家庭裁判所に送致することができるだけの日時の余裕を以て司法警察員が本件を検察官に送致すべきであつたことは当然であり、司法警察員がそのことをなし得なかつたのは捜査の遅延に基くものであることは前記の経過に徴し明らかであるが、城東署において担当者として本件を割当てられた田中幸夫巡査が同署管内で多発する交通事故事件の捜査に忙殺され、かつ被害者の負傷の治療を待つため本件の捜査を中断したままこれを放置し、昭和四三年一二月上旬に至り外勤係から応援に来ていた井上巡査に被害者の取調を依頼して同月七日被害者の供述調書が作成され、続いて同月二〇日、二一日の両日にわたり田中巡査自らが被告人の取調べを行つた上、同四四年一月二八日本件が検察官に送致された経緯は原判決説示のとおりである。

そこでさらに進んで考察すると、田申巡査は右のように続発する他事件の処理に忙殺されていたとはいえ、本件を家庭裁判所の先議に附しうるようその捜査を優先的に進行完了することが必ずしも不可能であつたとは思料しがたく、従つて前記のような捜査の遅延は、少年法の建前から見て決して好ましいことではなく、不当であるといわなければならない。

然しながら本件において、田中巡査は少年事件の年齢切迫という特殊事情を閑却し、被害者及び被告人の取調べを遅滞していたにしても、原判示のような城東署における交通事件処理の繁忙さの実状及び田中巡査の負担の状況からすれば、同巡査が本件につき家庭裁判所の審判の機会を失わせる悪意かつ違法の意図を以てことさら捜査を遅らせたものと考えられないことは原判決説示のとおりであり、かつ弁護人のいう未必的意図があつたとも思われないのである。加うるに田中巡査が当時置かれていた捜査機構、事件輻輳の程度、捜査官の捜査能力等にかんがみると、本件における警察の捜査は前説示のように少年法の建前から好ましいものでなく不当であるとしても、被害者が重傷を負い長期にわたり入院加療中でありその経過を待つて被害者の供述調書を作成したいと捜査官が考えた点(田中幸夫の原審での証言参照)にも留意すると、本件の捜査がきわめて重大な職務違反でこれを違法視すべきものとは考えられない。(原判決が捜査手続を不法とする点は首肯できない。)

その上本件は被告人が前方注視をなおざりにし横断歩道を歩行中の被害者を発見することがおくれたために発生した事故で被告人の過失は重大であり、被害者は頭部及び顔面打撲症、頭蓋内出血の疑、両側骨盤骨折及び左股関節脱臼、左肩胛骨骨折及び左肩関節脱臼、左上肢打撲挫傷、左腓骨骨折及び左膝、下腿打撲症、右足関節部打撲症等殆んど全身にわたる重傷を受け、(城東中央病院医師○本○之助作成の診断書参照)入院加療のみでも約一年二月を要したものであることならびに被告人が犯時少年であつたとはいえ一九歳を超えていたこと等に徴すると、所論のとおり被告人として本件が初犯であり、被害者救護の義務をつくし、被害者の治療費、休業補償金等が被告人の雇主から立替払されていることを念頭においても、本件は家庭裁判所の保護処分によつて終結するのが相当な事案ではなく、起訴相当の事案であると思われるから、原判決のいうように仮りに警察の捜査手続が違法であるとしても、検察官が少年法所定の家庭裁判所先議制度を没却する違法の意思を以て被告人を起訴したものとは考えられず、検察官の公訴提起の効力が当然に無効となるものと解することは相当ではない。以上の当裁判所の判断は、原判決の見解と結論においてその軌を一にするものであるから、原判決が所論指摘の前記少年法、刑事訴訟法の各法条の法意を無視し、刑事訴訟法三三八条四号の解釈適用を誤つたとする本論旨は失当である。

二  その余の論旨は量刑不当を主張し、被告人に対しては罰金刑を以て処断するのが相当であるというのであるが、前示のような被告人の過失の態様、被害者の負傷の程度等から考えると、前記有利な情状を参酌しても、被告人を禁錮六月(一年間執行猶予)に処した原判決の量刑が重きに失するとは考えられない。

よつて本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 児島謙二 裁判官 木本繁 山中紀行)

参考一 原審判決(大阪地裁 昭四四(わ)五四一号、昭四四・一一・二〇判決)

主文

被告人を禁錮六月に処する。

但し、本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるところ、昭和四二年一二月四日午後六時二〇分頃、普通乗用自動車を運転して大阪市城東区○○○×丁目××番地先付近道路を北から南に向かい時速約四〇キロメートルで進行していたが、進路前方の同所同番地先には横断歩道が設けられており、而も、当時進路右側には右横断歩道にまたがつて多数の対向車両が交通停滞のため連続停止していたのであるから、このような場合、自動車運転者としては、前方を注視して右横断歩道を早期に発見すると共に、右停止車両の間を通つて右横断歩道を渡ろうとする歩行者のあることを予見して予め減速徐行した上、安全を確認しながら右横断歩道を通過し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前方注視をなおざりにしたまま漫然進行を続けた過失により、右横断歩道を看過して前記速度のまま同横断歩道に接近し、折柄同横断歩道上の停止車両の間を通つて右から左に歩行横断中の○下○市(当五五歳)を前方約八メートルの地点にはじめて発見し、あわてて急制動の措置をとつたが及ばず、自車右前部を同人に接触させて同人を路上に転倒させ、よつて、同人に加療約一年を要しその後休業約三ヶ月を要する左肩関節脱臼骨折等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)、(法令の適用)――編略

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人は、本件犯行当時一九歳を一〇日間余り超えた少年であつたが、警察は、本件の捜査を故意に遅延させ、被告人が成人に達するのを待つて昭和四四年一月二八日本件を検察官に送致し、送致を受けた検察官は、同年二月二七日本件を成人事件として起訴し、その結果、被告人をして家庭裁判所の審判を受ける機会を失わせたのであつて、かかる違反な捜査手続に基づく本件公訴の提起は、違法であつて公訴権の濫用ともいえるから、無効として棄却されるべきである旨主張する。そこで、先ず、公訴提起前の捜査手続の違法が公訴提起の効力に影響を及ぼすかどうかの点につき考えてみるに、刑事訴訟法第三三八条第四号によれば、公訴の提起は、その手続自体に重大な違法がある場合にのみ無効であるとされているところ、公訴提起前の捜査手続が公訴提起の手続に含まれると解することは如何なる観点からしても困難であるから、公訴提起前の捜査手続の違法は、刑事訴訟法第三三八条第四号の掲げる公訴提起の無効原因には該当しないものといわなければならない。この点につき、公訴提起前の捜査手続が違法であつて、憲法第三一条の適正手続の保障に明らかに違背する場合にはその違法は刑事訴訟法第三三八条第四号の無効原因となるとか、或いは、違法な捜査手続を前提としてはじめて公訴提起の手続が可能であつたという意味で両者が密接不可分の関係を有する場合(例えば本件のような場合)には、公訴提起前の捜査手続の違法は、公訴提起そのものにも違法性を帯有させ公訴の提起を違法としなければならない実質上の理由が存するものとして公訴提起の効力に影響を及ぼすとの見解があるが、このような見解は、実質論としては理解できないではないが、刑事訴訟法の解釈論としてはにわかに左袒し難く、只、公訴提起前の捜査手続に所論のような違法が存する場合には、場合によつては検察官は公訴を提起すべきではなく、検察官の提起した公訴は、訴追裁量権ないし公訴権の濫用として無効となり得るとの点に解釈論的論拠を求める余地があるにすぎない。然しながら、訴追裁量権ないし公訴権の濫用といつても、それは裁量権の逸脱の問題であるから、逸脱があつたからといつて直ちに公訴の提起が無効となるものではなく、公訴の提起が無効となるためには、裁量権の著しい逸脱がなければならないことは勿論であるが、裁量権の著しい逸脱が存したとしても、それのみで公訴の提起が無効となると結論づけるにはなお論理の飛躍があり、公訴の提起を無効ならしめるには、更に検察官の主観的な目的意思が問題となされなければならない。違法の意思は法律効果の基礎となるにふさわしくないとの訴訟行為理論からすれば、検察官の主観的な目的意思が存してはじめて公訴の提起は無効となるものと解することが可能である。そして、本件のような事案の場合には、警察官が何らかの意図、例えば、事件が家庭裁判所に送致されたならば保護処分によつて終結されるかも知れないような事案につき、これを回避する意図の下に故意に捜査を遅延させ、被疑者が成人に達するのを待つてはじめて事件を検察官に送致し、検察官も亦その情を知りながら不法な目的意思をもつて公訴を提起したと窺われるような場合がこれに該当するものといわなければならない。

そこで、本件が右のような事案であるかどうかにつき検討するに、本件各証拠を総合すれば、本件捜査の経緯等について次のような事実が認められる。

即ち、(一)、本件は、大阪府城東警察署管内で発生した事件であり、発生の翌日同警察署巡査部長瀬戸田一史によつて事故現場の実況見分がなされ、その後、本件は、同警察署巡査田中幸夫の担当事件となつたが、被害者○下○市は、加療約九ヶ月を要する重傷を負つて入院中であつたので、同巡査は、同人の治癒を待つて同人を取調べることとし、慣例に従つて被告人の取調べは被害者取調べ後に行う方針の下に本件捜査を中断した。(二)、然るところ、右田中巡査の所属する城東警察署管内は、当時交通事故多発区域であり、その発生率は、大阪府下の各警察署管内中二、三番目に高く、昭和四三年度中の発生事故件数を見ても、人身事故が二、二六四件、物損事故が一、一三六件に上る有様であつたのに対し、これを処理する交通係警察官は、同年四月迄は約六名、その後は約八名に増員されたに過ぎず、その捜査方法も、自己の受理した事件は最後迄自己の責任において捜査する仕組みになつていたため、担当警察官は、迅速処理を要する実況見分調書の作成に追われ、而も、慣例上簡易送致事件を先に処理するためその他の一般事件については処理が停滞し勝ちであつた。そして、前記田中巡査もその例に洩れず、一日平均二件位の自己の新受事件の実況見分や実況見分調書の作成更には簡易事件の処理等に忙殺され、本件事故発生当時はその手持件数も約七〇件に達し、本件は、少年事件として優先処理をするため事件記録に付箋を付していたものの、被害者の負傷の治癒を待つため捜査を中断していたところから、目先の仕事に追われているうちに、被告人が成人に達する迄本件を放置する結果となり、その間被害者の負傷の治癒状況について照会することもなく、被告人が成人に達した後約二週間を経過した昭和四三年一二月五日頃に至つて漸く外勤係から応援にきていた井上巡査に被害者の取調べを依頼し、同巡査によつて同月七日被害者の取調べがなされ、続いて被告人の取調べを終えて昭和四四年一月二八日本件を検察官に送致し、検察官は、同年二月二七日本件を成人事件として起訴した。(三)、然しながら、右田中巡査が本件処理当時担当していた少年事件は五、六件にすぎず、本件以外の少年事件はすべて成人に達する以前に捜査が終つているのであり、而も、本件は、他の手持の少年事件よりも先に処理されたのであるから、当時前記のような多忙な状況にあつたとはいえ、さほど複雑な事件とも思われない本件一件を他の事件に優先して処理できなかつたわけではなく、又、被害者の傷害は、当初加療約九ヶ月を要する見込みであつたのが治癒が遅れ、昭和四四年二月三日迄入院していたが、事件発生の翌日から意識を回復しており、当初の加療所要見込日数の経過を待たなくても、担当医師の了解を得て被害者を取調べることは可能であつたものと推認される。

以上認定の事実関係の外証人田中幸夫の当公判廷における供述によれば、前記田中巡査は、本件処理当時続発する交通事件の処理に忙殺されていたとはいえ、本件を優先的に処理しようと思えば、被告人が成人に達する迄に家庭裁判所の審判を受けられるよう被害者の取調べを終え、事件を検察官に送致することが必ずしも不可能であつたとは思われないのに、被害者の負傷の治癒を待つて被害者を取調べればよいとの安易な考えと、目先の仕事が急がしいから仕方がないとの気休め的考えから本件の捜査を放置したものと認められ、同人の捜査手続は不法不当のそしりを免れないが、同人が本件につき家庭裁判所の保護処分優先主義を潜脱する違法の意図をもつて故意に捜査を遅延させたとは到底考えられず、検察官も亦違法の意思をもつて本件を起訴したとは認められず、被告人の年令、犯情等からして本件が家庭裁判所の保護処分によつて終結されるような事案でないことからも警察官及び検察官の違法な目的意思は窺われない。してみると、検察官のなした本件公訴の提起は、公訴権の濫用として無効となる場合に該当しないものといわなければならないから、弁護人の右主張は採用できない。

(裁判官 角敬)

参考二 控訴趣意書及び控訴趣意書補充書

一、控訴の趣意については、本件第一審に於ける弁護人の主張を援用する。起訴便宜主義は起訴法定主義に対する概念であつて、本来起訴すべきものを便宜上起訴しない余地を認めるという消極面に於てその適用をみるべきものであり、本来起訴すべきでないものを起訴してもよいという積極面に於てはその適用をみない筈のものである。第一審判決はこの点の理解につき若干混同があるように見受けられ、捜査手続を前提の不法不当を認め、且つ本件が違法な捜査手続を前提としてはじめて公訴提起の手続が可能であつたという関係を認めながら、本件公訴の提起は適法であるとの奇妙な結論を導いている。畢意第一審判決は少年法一条、三条、二〇条、四〇条、四二条、刑事訴訟法一条、二四六条等の注意を無視し、徒らに形式論理のみを追い、刑事訴訟法三三八条四号の解釈を誤つたものである。尚追て補遺書を以て詳論する。

二、罰金刑の選択を予備的に主張する。

控訴趣意書補充書

控訴人 G・I

右に対する御庁昭和四四年(う)第一、六〇二号業務上過失傷害被告事件について、さきに提出した控訴趣意書を次のとおり補充する

第一、緒論

本件は被告人が一九歳を一〇日間余り超えた少年の時に惹起した自動車事故であるから、若し、捜査当局に於て通常且つ平均的の適切な捜査手続を遂げていたなら、少年法の建前に則り、悠に家庭裁判所の先議に付し得た事案である。

そしてその結果は、おそらくは家庭裁判所の保護処分によつて、終結せらるべかりし事案であると思料される。

この点、第一審公判立会検察官は、論告に於て本件は交通事故犯罪として悪質であるから、どのみち検察官送致として処分される事案であると述べ、第一審判決もこれを受けて「被告人の年令、犯状等からして本件が家庭裁判所の保護処分によつて終結されるような事案でない……」と断じているのであるが、このように軽々しく断じ去つてよいものであろうか。

昭和四三年度に於て大阪家庭裁判所が業務上過失致死傷(自動車による人身事故でいわゆる刑法犯を指す)として取扱つた件数は六、二五七件であるが、そのうち少年法二〇条、二三条一項によつて検察官に送致されたのは一、三七八件で二二%に過ぎない。その余の処分内訳は、保護観察五八一件、少年院送致二件、不開始二八七件、不処分三、三〇一件、少年法一九条二項、二三条三項による検察官送致七九件、移送三八九件、併合五一件、回付一八〇件となつている。

しかも、右少年法二〇条、二三条一項による検察官送致として処分されたものの多くは無免許、飲酒等の運転により、致死の結果を生じたもので、そうでなくとも過去に於て同種犯行を重ねた経歴を有し或いはひき逃げ等、何ら反省をみせない、いわゆる悪質の事案である。

これに対して、本件をみるに、右のような悪質な面はない。

即ち、

(一) 被告人は本件が初犯であること、

(二) 被告人は事故直後、被害者を歩道まで運び、そばの人に救急車を依頼する等、事後処置が当を得たものであつたこと、(尚警察への連絡は、まず被害者の救護処置が急務であるところから、これにたずさわつている間に、他の人が連絡した)、

(三) 本件は死亡事故ではなく、被害者の療養期間中の医療諸掛及び休業補償(月額七万円)を全て負担し、被害者もその誠意を認めて宥恕の意思を表せられ、被告人への嘆願書まで差し出し下されおること、(尚右支払金額は第一審に提出した証拠だけでも合計二、九五三、八九〇円となり、これは被告人の勤務会社より支払われたもので、被告人自身これを負担したものではないが、雇用主は被告人の親族に当る)

以上の諸点に鑑みるとき、本件は家庭裁判所に於て保護処分として終結せらるべき可能性は十分にあつたと思料するのが相当であり、前記検察官論告所論は敢ていうならば暴論という他なく、又右の点の第一審判示所論には審理不審の違法があるといわなければならない。

百歩譲り、本件が事案の内容から少年法二〇条による検察官送致を相当とすることが客観的に明白なものであつても、そのことを理由として家庭裁判所先議の手続を省略することが許されないものであることは明らかである。

よつて、被告人は本件控訴により、救済を求める法律上の利益があり、且つ又本件は憲法三一条のデユー・プロセス即ち刑事裁判に於ける文化性の問題にもかかわるものと思料するので、以下その主張を陳述する。

第二、公訴棄却の主張に対する補充

一、まず本件事故発生から本件公訴の提起に至るまでの経過を略記すると次のとおりである。

昭和四二年一二月四日 事故発生

被害者は城東病院に入院、左肩関節脱臼骨折等により治療所要見込期間九ヶ月の診断あり。

同年一二月五日 城東警察司法警察員瀬戸田一史による実況見分調書作成。

昭和四三年四月一五日 被害者は大阪厚生年金病院に転医。

同年九月四日 城東病院の診断九ヶ月の期間経過。

同年一一月二二日 被告人成年に達す。

同年一二月七日 城東警察司法巡査井上政夫による被害者調書の作成、併せて大阪厚生年金病院の「尚三ヶ月の休業を要す」との診断書を取付ける。

同年一二月二〇日 城東警察司法巡査田中幸夫による被告人自供調書作成。

同年一二月二一日 同右

昭和四四年二月二一日 検察官増田利秋による被告人自供調書作成。

同年二月二七日 本件公訴の提起

二、右によつて明らかなように、本件事故発生から公訴の提起まで、一年二ヶ月余を要しており、その遅延の原因は、事故発生から昭和四三年一二月七日被害者調書の作成等に取かかるまで一年間余捜査を放置していることにあることは明白である。

ここで注意すべきことは、昭和四二年九月四日に当初の城東病院診断書の「九ヶ月間」が経過しているのに、これを放置し、同年一一月二二日に被告人が成年に達するのを待つたかのように同年一二月七日被害者調書の作成並びに厚生年金病院の診断書を取付けていることである。しかも、右診断書は「尚三ヶ月の休業を要す」というものであり、「治療を要す」とは記載されていない。そして、右調書を作成した井上巡査はこの診断書をもとに、被告人に対し「従つて一年三ヶ月の治療を要する傷害を負わせたことになります」という旨の自供をさせている。

しかしながら、休業と治療とは明らかに区別すべきものであり、右診断書が作成された昭和四三年一二月七日までは被害者は治療していたのかというと、記録上証拠はない。むしろ、それより相当以前に骨折の傷害としては治癒し、その後は機能回復等のリハビリテイションの段階に入つていたとみるべきである。因みに井上巡査は昭和四三年一二月七日被害者調書を作成した時、被害者は病院で機能回復に当つている模様であつた旨の証言をしている。

従つて第一審判示が右の点を深く考慮せず「加療約一年を要しその後休業約三ヶ月を要する」と認定した事自体審理不尽があるといわなければならないのであるが、それはそれとして、ここで述べたいことは、傷害の程度が実際上は加療一年余を要する程のものではなく、従つて担当の捜査官に於て、それよりはるか以前にその気になれば事件処理が可能であつた筈なのである。

しかるに、担当の井上巡査は、被害者途中昭和四三年四月一五日大阪厚生年金病院に転医したことも知らず、当初の城東病院の診断書「九ヶ月」が経過するのも放置し、被告人が成人に達するや事件処理にとりかかつた外形的事実からすれば、家庭裁判所先議主義を潜脱する意図をもつて故意に捜査を遅延させたと推認するのを相当とし、少なくともその結果を認容する未必的な意図があつたと認められる。

尚、井上の証言によれば、事件処理に忙殺されていたというが、これは右意図を否定することにはならない。

かえつてそれ故に右意図を生ずるに至つたという意味に於て動機としての意味を有する。

三、仮に井上巡査に於て家庭裁判所の審判の機会を失わせる意図をもつてことさら捜査を遅延させたことが明白に認められないにしても、特段の事情もなくいたずらに事件の処理を放置し、著しく捜査を遅延させた結果、家庭裁判所先議の制度の趣旨を没却し、被告人に対し家庭裁判所に於て審判を受ける機会を失わしめたのであつて、極めて重大な職務違反があるといわなければならない。

単に多忙であつたからといつて、一年間余も捜査を放置することを合法化する特段の事情には当らない。又当初の城東病院の診断書が「九ヶ月の治療期間を要する」と記載されていたからといつて右特段の事情に当るということはできない。

蓋し、負傷は治療せずとも捜査事件の処理は可能であり、又それが通常である。しかも、右九ヶ月はあくまで見込みであり、事実は前記の如く、骨折傷害としてはそれ以前に治療していたものであることが推認され、その後は単にリハビリテイション療養を続けていたのであるから、被告人が成人に達する迄に家庭裁判所の審判を受けられるよう被害者の取調べを終え、事件を検察官に送致することは充分可能であつたのであつて、畢竟するに井上巡査は被害者の負傷の治療を待つて被害者を取調べればよいとの安易な考えと目先の仕事が急がしいから仕方がないとの気休め的考えから本件の捜査を放置したものというに帰するのであつて何ら特段の事情もないのに極めて重大な職務違反を犯したという他ないのである。

四、而して右の捜査手続の違法ないし極めて重大な職務違反は送検された捜査記録上一見明白なのであるから、このような場合検察官の公的立場からすれば、これと関係なしということはできず、情を知りて公訴提起に踏切つた以上右手続の違法を承継しているものというべく、従つて公訴提起の手続自体も亦違法性を帯びざるを得ない。

検察官は公訴官として、第一次的捜査機関である警察等の捜査活動を管理し、その結果を審理した後に、それに基き、社会秩序の維持という見地から、公訴の提起、不提起を決定するという重大な地位におかれているのであるから、同時に、警察等捜査機関の捜査活動がデュープロセスの保障を侵害することのないよう、つまり捜査機関が常に適正な捜査活動を行うように内部的に指揮監督すべき地位にもおかれているといいうるのであり、従つて検察官は、警察が本件の如く違法ないし極めて重大な職務違反のある捜査活動を行ない、その結果を送検して来たときは、公訴の提起を自ら抑止し、起訴猶予処分にすることによつて、積極的にデユー・プロセスの保障を全うすべき客観的義務を負つているものと考えられる。

第一審判示はこの点につき、一面の理解を示しながら、反面に於てこれを検察官の起訴裁量権の問題として解消しようとして「裁量権の著しい逸脱が存したとしても、それのみで公訴の提起が無効となると結論づけるにはなお論理の飛躍があり云々」と述べているが、起訴便宜主義は、起訴法定主義に対する概念であつて、本来訴追の上刑罰を請求できる事案につき、具体的事情を勘案の末便宜上起訴しない余地を認めるという消極面に於て、その適用をみるべきものであり、本件の如く捜査段階に於て違法ないし極めて重大な職務違反があり且つ右違法ないし極めて重大な職務違反の捜査によってはじめて公訴の提起が可能であつた場合には、前記の通り検察官は自ら公訴の提起を抑止すべき客観的義務を負つているのであり、このように本来起訴すべきでないものを起訴してもよいという積極面に於ては、そもそもその適用をみない筈のものである。

五、警察当局が交通事犯について多忙であることは充分理解しているものであるが、その故に刑事裁判に於けるデユー・プロセスの文化性が否定されてはならない。

新聞の報道によれば、四万人のデモに対し二万人の機動隊が出動したという。それ自体をとやかくいうつもりはないが、だからといつて被告人の家庭裁判所に於て審判を受ける機会を奪つてもよいということになつては、国民的見地からいつても到底承服できないであろう。その失われた利益はあまりにも大きいのである。この点につき、第一審判示は実質論として理解できないのではないが、としながら刑事訴訟法三三八条四号の解釈論の問題として形式的にこれをかたずけているが、これは角をためて牛を殺す論理であり、刑事訴訟法三三八条四号の解釈としても明らかに誤まつている。即ち、判示は公訴提起前の本件捜査手続の違法を認め、且つかかる違法の捜査手続を前提としてはじめて本件公訴の提起が可能であつたという意味に於て本件に於ける違法な捜査手続と公訴の提起との密接不可分の関係を認めながら、要するに担当捜査官には家庭裁判所先議主義を潜脱する違法の意図が認められないとし、検察官も亦違法の意思をもつてこれを承継して起訴したこと認められないとして、刑事訴訟法三三八条四号の適用を否定している。

しかし、元来違法とは客観的な概念であり、本件の如く捜査記録上客観的に一見明白な極めて重大な職務違反が認められる場合に於て、敢てこれを承継して公訴提起に踏切つた以上、前記の検察官の公的地位に鑑みるとき、それ自体に於て既に極めて重大な職務違反があるのであり違法があるのである。それ以上に違法の意図や重大な過失の有無を問擬するのは、国家賠償請求、担当者の処分等に於てその責任を追及する場合にはじめて提出される問題にすぎない。亦違法の意思の有無により訴訟行為の有効、無効を左右することは訴訟行為手続の理論からも失当である。

更にもう一ついえば、捜査段階の手続が刑事訴訟法三三八条四号の「手続」にどの程度含まれるかという問題について、近時学説上「起訴前手続における違法が公訴提起の効力に影響しないという命題そのものの変更を主張したいと思う。捜査手続にデユー・プロセスをいちじるしく侵害する違法があつたときは「犯罪後の情況により訴追を適当としない」(刑訴二四八条参照)場合として処理すべきであり、この点を看過して公訴が提起されたときは、裁判所はこれを棄却してよい」(松尾浩也、警察研究三九巻二号一三〇頁)との強力い提唱がなされ、他の多くの学者もこれと志向を同じくする所説を発表されている。

そして判例も限定された要件の下に於て例外的にではあるが、捜査手続の違法が公訴棄却を導く場合のあることを示唆していた(例えば東京高判昭和四一年一月二七日、判例時報四三九号一六頁、仙台地判昭和四一年一月八日、刑集八巻一号一九頁)のであるが、最高裁は本件と同種事案につき、昭和四四年一二月五日、傍論としてではあるが「捜査官において、家庭裁判所の審判の機会を失わせる意図をもつてことさらに捜査を遅らせ、あるいは、特段の事情もなくいたずらに事件の処理を放置し、そのため手続を設けた制度の趣旨が失われる程度に著しく捜査の遅延をみる等、極めて重大な職務違反が認められる場合においては、捜査官の措置は制度を設けた趣旨に反するものとして、違法となることがある。」として捜査手続の違法が公訴提起の効力に影響を及ぼす場合のあることを判示した。

六、右最高判の事案は調書の不備等により事故発生から起訴まで八月余を要したというものであり、当局に多少の手落はあつたとしても、証拠の収集等捜査を遂げるため日時を要したものとして、結論に於て被告人の主張を容れるところとはならなかつた。しかし、本件は事故発生後当局に於て一年余捜査を完全に放置したというもので、その間証拠の収集等捜査は全くなされていない事案であつて、しかも右事実は捜査記録から一見明白なのである。

捜査にそれ相当の日時を要することを認めるにやぶさかではないが、さして困難とも思われない本件の捜査を一年余も放置した本件事案を右最高判の事案と同日に論ずることはできないのであつて、本件は右判示の違法の意図、あるいは極めて重大な職務違反のある場合として正に公訴棄却とさるべき事案であると確信する次第である。

第三、量刑不当の主張に対する補充(予備的)

前記第一(一)(二)(三)に述べたような理由及び前記不法の捜査によつて奪われた被告人の利益の重大性に鑑みるとき、懲役刑の選択の必要はなく、罰金刑を以て足る。

昭和四五年三月三日

右被告人弁護人 弁護士 岡沢完治

同 弁護士 末永善久

大阪高等裁判所

第六刑事部御中

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